銀座の恋のものがたり

相変わらず銀座は暗かった。オトナの銀座。私はこんな街の方が好きだな。路地の暗がりから暗がりへと伝い歩いて、穴蔵のようなもしくは巣穴のような隙間に潜り込む。そこここに夜の匂いが満ちている。


昔かよっていた店が何軒かなくなっていた。20年来の先輩と「あそこも店を閉じたんや」「ここは田舎に帰りはったんや」と会話しながら歩く。どこか赤塚先生と風貌の似た先輩は上京以来30数年が経つのに言葉のイントネーションから「関西」が消えていない。そうか、産地直送の野沢菜がおいしかった「たくみ」も、日本バーテンダー協会の重鎮が経営していた「スミノフ」も閉店してしまったか。


銀座の夜の風鈴売り。カメラを向けたら「撮影料1,000円」と言われた。千円札を渡してシャッターを切った。そのまま歩き出すと、後ろから追っかけてきて、風鈴に造花の花束を押し付けてきた。この風鈴はコリドー街の名も知れぬバーで今夜もちろちろ鳴っているだろう。


汐留〜新橋〜銀座と(呑み)歩いて腹も減ったので、大好きな「支那麺 はしご」へ。この界隈で呑んだあとのシメは必ずこの店へ。「だんだんめん・中辛」を注文する。ご飯も少々。
ここの赤いラーメンのことは昨日ご紹介したので省略。


特筆すべきはこの店に常備されている刻みたくあんで、歯ざわりが抜群である。これを白ご飯の上にこんもりと乗せて、大口あけてあんぐりと頬張ってコリコリポリポリやるのを上京の大いなる楽しみとする。商品名を竜馬たくあんと言って、業務用にしか売っていないのが残念至極。2キロ単位なら売ってくれるらしいが。


店を出たら路上にこんなものが落ちていた。日本以外の国であれば、鞄はすでに持ち去られているだろう。ただし国内でも大阪市天王寺区の一角は別。鞄だけでなく靴も姿を消しているでしょう。そして翌日には通天閣の下、泥棒市で売られることになる。巴里みたいや。


三井ガーデンホテルの窓から見下ろした朝ぼらけの銀座。まさしく数時間前に徘徊したあたり。古戦場に懐旧の情がしきり。週に2〜3回はうろついていましたもんねえ、ひと昔前までは。あえてホテルで朝食をとらず、路麺の名店「小諸そば」でかきあげそばといなりずしを食べた。朝から喰いすぎか。


この日の午後は東京會舘で業界の集会があり、富山県代表で出席した。たくさんの懐かしい顔にあう。みなさんお偉くなって。かつての悪童ぶりを知るだけに、「取締役東京支社長」とか「なんとか理事長」の名札を付けてきちんと座っている諸先輩を見ながらいにしえの夜を思う。


有楽町まで歩いて行く。道すがらこんな碑を発見した。柳の下に幽霊ならぬ「銀座の恋の物語」の歌碑が。私が好きなのは3番の歌詞。

やさしく抱かれて 瞼を閉じて    
サックスの嘆きを 聴こうじゃないか
灯りが消えても このままで
嵐が来たって 話さない
東京でひとつ 銀座でひとつ
若い二人が 誓った夜の
銀座の恋の物語



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