追悼 どくとるマンボウ 北杜夫

世の中どうなってんのか。わずか一ヶ月に追悼文を3つも書くとは。スティーブ・ジョブズ、柳ジョージに今度は北杜夫か。付き合いの短い順だな。私が教に感化されたのはことしの3月からだから、わずか8ヶ月のお付き合い。柳ジョージは学生自分からだからざっと30年になるか。


父の本棚にあった「中央公論社日本文学全集〜北杜夫」に所収されている「どくとるマンボウ航海記」を読んだのは小学校6年生のときだった。品のいいユーモアとはこんなものかと思った。以来約40年の月日が経つ。中学へ進んだ頃、北杜夫と遠藤周作はティーンのアイドルであり、クラスメイトは遠藤派と北派に分割されていた。


青春時代とは思い返すも恥ずかしいものだけど、数ある「どくとるマンボウもの」でもとりわけ「青春記」には恥ずかしさの共通点で惹かれるものが多かった。旧制松本高校における、戦後欠乏期に繰り広げられるバンカラ生活に、女の子の目ばかり気になってその割にちっともモテなかった自分は憧れていた。いっそ女子のいない世界ならこんな煩悩に悩まなくても良いのに、なんてね。学ランに軍隊カバンを提げて下駄を履いて高校へ行ったこともあったなあ。


大作「楡家の人々」では米国叔父が好きだった。でも北杜夫文学の真骨頂は大長編より行き届いた中編にあるような気がする。写真の「酔いどれ船」とか「黄色い船」など。叙情と含羞があって、どこかハイカラで。やっぱり斎藤病院のお坊っちゃまなんですね。

父親の斎藤茂吉に対しては崇拝と畏れがないまぜになっていたせいか、初老を越えたころからようやく正面切って取り組んでいた。偉大すぎる父を持つのは大変なことであるらしい。私の後輩にもひとりそんな境遇の男がいて、普通の扱いをしてやれば良いのにと思うけど世間はそうはいかんのやなあ。


あれほど愛読した「マンボウ」シリーズも、童話寓話も、なぜか歳月とともに書棚から姿を消してしまっている。訃報に接して探してみても合わせて10冊も残っていない。お嬢さんの斎藤由香が書くエッセイは幾冊もあるんだけど。

私の書くものに多少なりともユーモアがあるとするならば、薫陶を受けた作家はまず北杜夫であり、続いては田辺聖子である。お聖さん、お年なのは承知していますがあまりに立て続けに人を悼むのも精神的に参るんで、いましばし「あちら側」に行かれるのはお待ちくださいね。

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