遅まきながら「永遠の0(ゼロ)」

タイガース3連敗もなんのその。ゲーム終了後、大和百貨店7階の紀伊国屋書店へ赴いて、この本を購入した。帰宅し、夕食の準備も忘れて没入。6時半ころから読み始め、午後9時半に読了したのである。久しぶりのパワー全開イッキ読み。




百田尚樹「永遠の0(ゼロ)」は、ゼロ戦版剣豪小説であり、家族小説であり、強烈な反戦小説でもある。主人公?の宮部久蔵は宮本武蔵のモジリかもしれない。武蔵の撃剣術と空中戦の秘技の比較も作中に出てくるし。まあネタバレさせるのが惜しいほど面白い小説なので、ぜひご一読をおすすめします。何ともいえんフクザツな読後感を共有させてもらいたいところ。




この小説はまた、ゼロ戦をめぐる青春小説でもあり、日華事変でデビューした12型、真珠湾で開戦劈頭に大活躍した21型、昭和18年以降、アメリカが繰り出す新機材に苦心惨憺した52型が描かれている。本来は艦隊制空任務のために開発されたゼロ戦が、地上からの長距離作戦機に、さらに邀撃任務に、最後には爆装して特攻任務につく。爆装については事実なら人道上許し難いエピソードが記述されていた。用兵者の無定見無能ぶりが淡々と且つ辛辣に記述されている。




太平洋戦争を引き起こしたものは何か。天皇でもなく、軍部でもなく、狂信的右翼でもない。普通に我々の祖父・曾祖父たちである。ポーツマス講和条締結を弱腰外交と批判したのは、市民の思想レベルを代表する当時の新聞社であり在野の言論人であった。驚くべきことに、中には今も続く新聞社もある。

数万人の市民が決起した、明治38年9月5日の日比谷焼き打ち事件こそは、日露戦争で奇跡といっていいほどの軍事的勝利をえた日本が、夜郎自大となって対外進出をはじめるきっかけである。昭和20年8月の悲劇は、まさしくこの日にプログラムされたのである。


                    日比谷焼き打ちの惨状。


ジャーナリズムがコトの本質を客観的に分析せず、市民の「空気」に迎合してさらにその気分を煽りたて、軍人と官僚はその「空気」を隠れ蓑にして権力の拡大にせっせといそしんだ。たぶん、選り抜きのエリートであった彼らは、頭のなかでは対米戦争に勝てるなどと思ってもいなかったに相違ないだろう。だが、えもいわれぬ「空気」に支配されている世の中で、冷静なことを述べたって「臆病者」と批判され、立場も仲間も失うことになる。死の舞踏は全員が倒れるまで続く。


                     米艦に突入する彗星艦爆


読後、しばらくぐったりとした。

ひるがえって、この平成の世の中はどうか。国家財政破綻を前に、いまだに財投を繰り返す政治家と官僚がおり、そのおこぼれに期待する民間会社がある。そのさきにひとりひとりの国民がいる。手を差し出して金が落ちてくるのを待っている。いつかきっと来る破綻を前にして、国民のだれ一人責任を取るわけでなく、最後の幕切れまで吹くかもしれない神風を待つのである。

「永遠の0(ゼロ)」は、平和を願うひとたちすべてに読んでみてもらいたい本である。昨今久方ぶりだもんなあ、メシも忘れて没頭し、これだけボディーに効くヘビーな読後感って。この夏のいい収穫であった。

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