秋刀魚の歌

秋刀魚が高値を呼んでいる。温暖化のせいだとか、中国の陰謀とか、ロシアによる漁獲が原因だとかいわれているが、たぶんどれも的外れであろう。何でもかんでも温暖化に寄せて考える風潮を私はよしとしない。青魚は定期的に豊漁・不漁を繰り返す性質があり、例えば今年は長らく不漁続きだったマイワシが大量続きで、値段も下がっている。

まあ、漁師に言わせれば「イワシは海の米」であって、毎日食っても飽きないのはイワシだけだと、獅子文六のエッセイにもある。私もイワシの塩焼きは無二の好物だから全く同感である。

しかしそろそろ9月の声も聞こえて来ようかともなれば、あのスラリとした青銀色にかがやく魚体がやはり恋しくもなってくる。ベランダに七輪でも出して、モーモーと煙を上げながら塩焼きにしてみたいところだ。炊きたての新米を添えて。




「秋刀魚の歌」で知られる佐藤春夫は、谷崎潤一郎との確執のすえに、彼の妻であった石川千代をもらいうける。夫妻の離婚成立を受けて、3人連名の挨拶状を知人に送った。有名な「細君譲渡事件」である。

年譜風にしてみると、

大正4年 谷崎潤一郎 石川千代と結婚

大正6年 谷崎、千代と疎遠に。佐藤春夫は千代の心情を惻隠するうちに恋愛感情に発展。

大正9年 春夫、米谷香代子と離婚。このころ、谷崎は千代と復縁

昭和5年 谷崎、千代と離婚。 春夫、千代と結婚

昭和6年 谷崎、古川丁末子と結婚

昭和10年 谷崎、丁末子と離婚。 根津(森田)松子と結婚

この間、谷崎と春夫は絶交宣言を出してみたり、ひっこめてみたり。谷崎は春夫以外の男性にも千代の譲渡を仄めかしたこともあるようで、いやあ、昔のひとはエネルギッシュだったんですねえ。

妻に裏切られ、離婚し、恋しく思う人は再び夫の元へ戻って行っていた、どうしようもなく孤独であった頃を題材に、周知の名作「秋刀魚の歌」は書かれている。






「秋刀魚の歌」 佐藤春夫


あはれ


秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食(くら)ひて

思ひにふける と。



さんま、さんま

そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。



あはれ

秋風よ

汝(なれ)こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証(あかし)せよ かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。



あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児とに伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす と。



さんま、さんま、

さんま苦いか塩(しよ)つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。



きっと、土間か縁先に七輪を置いて、一人でさんまを焼いていたのだろう。立ち上る煙にむせかえりながら、今ある孤独を自嘲しながら。

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