南砺紀行~なんとなんと

業界の研修(と称した慰安旅行)で、南砺市に遊んできました。白川郷の合掌作り(世界遺産)とか、散居村の美観、井波の彫刻文化など、見るモノに事欠かない観光資源のカタマリのようなところであります。下の地図で南西部にある色の濃い部分。





関西において、地理用語として「なんと」と発音するとそれは「南都」つまり奈良をさす。だから奈良の地銀は南都銀行なんでありますね。(1989年に発足した奈良銀行は2006年に解散)だからといって京都のことを「北都」とは言わない。南都北嶺とは言うけれど。

富山県には砺波平野なる大田園地帯があり、その中心部が砺波市でその西南部に「南砺市」が立地している。砺波市・南砺市は北陸経済圏と中部経済圏を結ぶかなめであり、道路交通において関西関東への中継地点でもあります。




トナミ運輸はこの交通の要衝の地にあって昭和18年創業され、いまや西濃運輸についで全国第7位、1130億の売り上げを誇る。県内の有力企業なんだな。国民新党の初代代表、綿貫民輔は弱冠28歳で危機に瀕したこの会社を親から引き継ぎ、再起させた中興の祖でもある。

ところで、旧郵政省の長距離郵便はトナミ運輸が独占輸送していたらしい。国民新党と言えば郵政民営化反対の先鋒だったよね。でもこのあたりをあまり詳しくつっこむと、県内で生きて行けなくなりそうなんで、この程度で。

ちなみに綿貫家は、南砺市井波の名家で井波八幡宮の宮司を務めている。神職にある人を疑ったりしてはならないからねえ。




井波は作家池波正太郎の父祖の地であり、記念館が建てられている。この日は「よいとこ井波大収穫祭」とかで、記念館の前庭にて地産品の売り出しをやっていました。チンドン好きの県民性なので賑やかしに活躍。ちなみにこの翌日、同じ面々が富山市の中央通りで「シルバー人材開発センター」のチラシ配りをやっていたんですねえ。不振の県内広告イベント業界にあって、一人気を吐くチンドン業なり。


広大な伽藍を誇る瑞泉寺。本願寺第5代が建立したという。越中における浄土宗本願寺派の拠点であります。ようするに越中一向一揆の本拠地ですね。一揆と言っても一時的な争乱ではなく、100年近くにわたって越中一帯を管理、というか支配していたわけで。宗教政権が一世紀にわたって成立していたというべきなんでしょう。

一向一揆については、帰宅後にネットで調べてみると、中々に面白そうで好奇心をそそられてしまいました。




宿泊は大牧温泉。小牧ダムから遊覧船で温泉に至る。大正14年に民間資本による建設がはじめられたものの、関東大震災による不況・資金難やら、庄川水系で木材を運搬していた飛州木材との水運権をかけての争議やらで、送電開始は昭和5年となってしまいました。暴力沙汰とか大変だったらしい。この間に経営権は関西電力に移行ちゃって。

まあ、ダム湖の上流に温泉があるわけです。大牧温泉には、関西電力が持っている私道を走らない限り、船でしか行きようがないことになっております。片道30分の船旅が往復で2800円となるんですね。ええ商売しとんのう。




ただし風光はきわめて明媚でありまして、小雨交じりの曇天でさえかなりの絶景ぶりだったので、再来週くらいの紅葉シーズンになると凄いと思われます。




16時半にしてすでに薄暗く、写真不鮮明ご勘弁。温泉上がりに浴衣姿で畳の上での宴会は、たまにはいいもんです。ニッポン無礼講宴会。なにがハラスメントやねん。地酒三笑楽の吟醸、コクのどごしとも佳品なり。




これも見づらいですね、私のケイタイの「圏外」表示。大牧温泉は日本最後の秘境と称するだけあって、ケイタイもメールもまったく不通なんです。16時半にチェックインしてから、翌9時半に出発するまで、外部と隔絶された環境におりました。

誰からも電話がかからず、メールも来ない。これはこれで別天地の気楽さがありました。日常から解き放たれたい方にお奨めします。肩の凝りがほぐれる心地がいたします。

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