真宗王国・富山の葬式事情とは。

本日、越中富山に赴任してちょうど満2年となった。会計年度も下期に変わった初日、10月3日の月曜日は、お取引先の葬儀で始まった。なにしろ葬式の多い土地柄なので、月に2回は喪服に袖を通している。といって平均寿命が短いわけではない。全国ランキングは男性12位女性7位に位置するからどちらかと言うと長寿県である。


9月26日の富山新聞から。オークス(県内最大の葬祭業者)によると、昨年1年間に県内で行なった葬儀2500件中、直葬・家族葬は130件で全体の5%にあたるとか。10年前に比べると倍に増えたらしい。しかし、東京大阪あたりでは、すでに葬儀の70%が直葬・家族葬になっているとのデータもあるなかで、富山ではまだほとんどの人たちがきちんと葬儀をおこなっているのは、いささかの驚きである。葬儀費用の平均が221万円で、全国平均の199万円を大きく上回る。

最近では生活の洋風化とともに、寺の本堂で正座して、という形は激減している。私のささやかな2年間の体験ではいちどもない。「セレモニーホール」などで実施されるのが通常で、通夜は19時から20時。葬儀は午前10時から11時までに執り行われる。朝10時からの葬式ってのには当初びっくりした(関西圏は正午~14時のあいだくらい)けど、もう慣れた。不謹慎ながら二日酔いの朝など、居眠りするにはナカナカ良い空間でもある。


ざっと20回ばかり参列した葬儀の95%までが浄土真宗で、日蓮宗が一回だけだった。真宗は大谷派、西本願寺派などいろんな流派があるようだが、クリスチャンの私にはようわからん。ただ、本願寺8世の蓮如が現在でいう富山県伏木の生まれで、勝興寺の前身である土山御坊を建立したということから、越中は真宗王国と呼ばれるに至っており、瑞龍寺を筆頭に大伽藍も多い。


富山の葬式では、参列者の全員で霊柩車を見送るのが当たり前となっている。だから焼香が済んでからも座席に戻らなければならない。焼香終了~流れ解散の関西流儀とはずいぶん違う。また焼香が済んだ後に「遺族代表挨拶」の時間があって、多くは喪主から故人の最後の様子などが伝えられる。これは、事情を知らずに社交儀礼だけで参列している私のような人間にも、その場の雰囲気とのつながりを感じることができるので、いい習慣だと思う。


ちなみにお見送りに行く際に、葬儀関係者から参列者に菓子袋と生花が渡されるのにも当初は面食らった。菓子袋と言ってもブランド品のお菓子でなく、ごく日常的な駄菓子が入っている。私はいまだにその意味がわからないままでいる。


告別式の後は斎場で、富山市営の斎場は常願寺川ぞいの西番(にしのばん)に位置している。富山弁では亡くなることを「しもてしまわれる」=「仕舞ってしまわれた」と表現し、たとえばとやましみんだったら「〇〇さんも西の番にしもてしまわれた」と言うのである。魚津新川地区なら、斎場は「桃山」にあるため「〇〇さんも桃山にしもてしまわれた」と言うことになる。なぜか冠頭語として斎場の名前がつくのである。

どちらかというと早めに彼岸へと旅立ってほしい相手には「はよう西の番にしもてかれ」などと、半ば命令口調で使われることもある。私もどこかで「杏花さんもとっとと西の番にしもてかれたらええがんに」と言われているかもしれない。


コメント

  1. >菓子袋と言ってもブランド品のお菓子

    初めまして、金沢など石川県に人口に比してなぜ菓子屋が多いのかと考え、検索して、こちらにたどり着きました(最初の疑問は金沢市のホームページに庶民に広く菓子文化が広がったのは真宗行事がきっかけと書いてあったので、疑問は解決)。

    私は石川県南部の旧江沼郡出身ですが、菓子類はお供え用に親族、近所の者が買ったものを分けていたのが昭和期によく見受けられたのですが(法事では現在でもそのスタイルが残っている)、今は個人経営の食料品店に発注して菓子類をざっと持って来てもらい、わけているようです。ただ、石川では今は菓子を持たせることは減っていて、香典返しの商品券に取って代わられています。

    石川県加賀の出身の者より

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