夜っぴいて鴉が啼く

富山市中心部には幾千羽からの鴉(カラス)が棲みついている。一斉に飛び立つと半天を覆わんかのごとく、陽が遮られるかの勢いでリアルにヒッチコックの「鳥」を想起させる風景となる。松川越しに建つ北酸ビルの屋上・テレビアンテナさらに富山市役所の屋根屋上塔屋など、混雑時の京王新宿線もかくやかと。

こいつらのおかしい所は、すでに深更23時になっても、啼き交わす声が二重窓を越してさえ聞こえてくることである。当家のサッシは富山県が誇る地場産業、三協立山アルミ謹製の二重サッシであって、その防音断熱機能には、日ごろ敬服せざるを得ないのであるけれど。

先月中旬の自宅前アプローチ

関西に住んでいる頃は、二重サッシなんぞ単なる贅沢品としか思わなかった。冬と言えど零下を指す日は僅少であり、夏の炎暑も昨今のインバーター回路をもってすれば、室内は別世界にすることができた。しかるにこの地で冬が到来して以来、晴天を望むこと稀にして、日々曇天ときに氷雨降り、更に先月は月の半ばが雪に覆われる始末となった。

ちなみに越中で除湿機が稼動するのは、主としてこの季節である。室外との温度差で窓ガラスにびっしり貼り付く結露は、日中うざったいほどの湿気となってあらゆる所へまつわりついていく。家屋の傷みにつながり、被服の保存を妨げる。結露を防ぐ二重窓は、北国の冬において単に暖房効率を上げて燃費をせつやくするだけでない、贅沢品でもなんでもない必需品である。

その防音遮音すぐれたサッシを通してさえ、越中鴉の啼く声はひびいてくる。カラスは山にかわいい七つの子いるから、夕暮れとともに立山へ戻るのではないのか。

市役所と県庁のはす向かいに、ちょっとした規模の公園があり結構な量の立ち木が並んでいる。巨大な噴水があるので、地元では噴水公園と呼んでいる。暮夜、桜町のバーから帰宅するとき木々の群れを通して、何か生きものの気配がする。ひとつやふたつの生命体ではない、群棲の気を感じずにはいられない。コートの襟を立て家路を急ぐ足音をつつみこむように、幾千の呼吸を背後に察する。でもここで大声を上げてはならない。

ときにあまりに繊細にして不用意な人間が、その重圧に耐え切れず大きなしわぶきでも発すると、たちまちにしてカタストロフがやってくる。最初は一羽、続いて二羽・四羽・八羽・六十四羽と乗数の原則に乗っ取って、彼ら彼女らが啼き交わし始めるのである。その矯音は、数百メートル離れた我が家でも「始まった・・」と鳴動を察知し得るほどの規模となる。


                堂々たる大伽藍。富山市役所。

鴉の啼き声は何か凶兆を思わせる。和漢三才図絵によれば「思うに、烏は孝慈であって長寿の鳥である。(中略)夕暮れになると叢林に宿り、夜中でも月が出ると啼く。純黒で雌雄を弁別しにくい。むかしから熊野の神使と言い伝えられている」と書かれている。続日本紀では、聖武帝の天平11年(739年)に「出雲の国から赤烏を献上し、また越中から白烏が献上された」と記されているようである。凶鳥とは言われていない。べつの古書には「烏の本性は気楽で空嘴(あっけらかん)」とも評されている。面着き面見に似合わずのほほんとした連中なのかもしれない。

しかし楽天的であまり悪い生きものでなくても、蝗集すると集団そのものが暴力になることもある。嬌声に、また時には急降下爆撃のごとく頭上に降ってくる糞害に、あっけらかんとした善人が文字通り烏合となることほど困ったことはないわいと私は日々を送っている。

だいいち世に言う善人というやつほど、実は貪婪なまでに諸欲が深いのである。

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