ビバ!短編。

料理作りと小説の組み立てには共通点があるらしい。

ゆったりとした時間をかけて長編小説を楽しむとき、多少の表現あるいは文脈上の瑕僅があってもそれは全体の流れからすれば、ちょっと支流から流れ込んだ水が起こす小さな渦にすぎないから、そのまま見落としたところでどうということもない。かえって作者の人間性を感じるときもあって、長い旅の途中で信号待ちで偶然止まった、風景の良い停車場のような気がするものである。

しかし、文庫本一段組みで100ページ以内の短編ではそうはいかない。あらかじめ材料を切り揃えておき、調味料も準備した上で一気に勝負をかけないと、素材は煮えすぎてしまう。調味料は果断をもって投入されないと、いじいじしながら足したり引いたりするうちに焦点のさだまらない中途半端な味付けになってしまう。

良くできた短編小説を読むと、作者の立てた思惑どおりに誘導され、クライマックスに引き上げられ、息もつかずにエンディングにまで運ばれる。数刻を無我夢中にさせてくれた作者の力量に無言の敬意をおぼえずにいられない。

嵐のような快感はそうも持続しないもので、食物なら良く出来た皿一つのあいだ、小説なら短編ひと綴りのあいだが限界ではないか。

ここのところ、日英の短編をアンソロジーをもとめては楽しんでいる。目覚めに晴天であっても、幾刻経ぬうちに氷雨が降り、すぐに雪景色となる気候変動激しき越中の地で、何時明けるとも知れぬ冬をすごすのには、なぜか掌編がぴったりとくる。

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