餃子事件

「夢は、同系列の他の心理的形成物と同様に、一種の妥協として、無意識と前意識-これが協調しうる範囲内で双方のさまざまな願望を充足するかたちで奉仕する」 ジグムント・フロイト



だから夢はいつも現実と最良のあいだか、現実と最悪のあいだにある。悪夢でさえ往々にして本人が予測する最悪より一歩手前の状況でとどまっている。世の中は乱数表のごとく分解分析できかねる出来事がときに集積するので、悪夢を上回る兇事が振りかかってくることも稀ではない。

しかし夢を見ることは、あらゆる人格において自由である。それがたとえ属人格でなく法人格であってさえも。それが集団的無意識に操られるだけに法人の見る夢の方が時として要らぬ作用をまきおこすことがあっても。

前進的であって世の中に貢献するたぐいの「夢」のはなしを、はてどうやって現実界に着地させるべきなのか会議室で討議するうちに、胃袋の限界が来た。21時を過ぎて帰宅してさらに自炊をする気力を私は持たない。いっぽうで、その時間帯になっての富山市中心部は独り者が食事するに価する店舗が極端に減少する。遅くまであいているカフェなんぞに五十路がらみのうらぶれたサラリーマンが出現してパスタなんぞ注文するのは、周囲のレディたちも気分ぶちこわしだろうし。

といって24時間営業の吉野屋で晩餐をしたためるのも、まして残業後となればあまりに気持ちが乾燥してしまいそうでいやだ。もっと若ければああいう店でとにかく胃にstuffするつもりでつめこんでから飲み屋に出撃もできたけれど、この歳ではご勘弁いただきたい。

人生50年、いままでの不品行を割り引いて考えればあと15年くらいの寿命として、残り数の方が圧倒的に少なくなってしまった夕餉の席を、ひとり吉野屋で丼に顔を突っ込みながら寸時の打ちに済ませてしまうようなことは積極的には受け入れがたいものがある。



富山駅前のシネマ飲食街は、富山大空襲のあとに蝗集したバラックが改築を重ねたごときカオスを呈している。その一軒に終夜人いきれの絶えない中華屋があって、以前から気になっていた。ガラス越しに見る限り勤め人としてあまり上位にいるはずのない、善意と小心と僻みでいらぬ皺を刻んできたような文字通り同志諸氏がたむろして、談論風発紫煙濛々のいまどき羨ましい限りの空間である。

例により昨日も雪降る気温摂氏1度の帰宅環境であって、空腹を抱えたままいったん松川の自宅にもどってジーンズにダウンジャケットをはおり勇を鼓して暖簾をくぐった。餃子一人前480円は高いよなあと、王将そだちは思いながらも餃子とザーサイを頼んで中瓶のビールを楽しんでいたのであった。

店内は定員一杯で、私はカウンターのまさしくはじっこにいてダウンをかける壁面スペースもないし暖房が不行き届きと言うか隙間風でやたら寒いので、それをひざ掛けにしながら遅い晩酌を楽しんでいた。餃子の味は猛烈にニンニクが効いていることをのぞけは、県内でも屈指のレベルといってよかった。周囲の勤め人たちはますますその帰属する半径5メートルくらいの出来事に悲憤慷慨し、身沢山でつるりとした自家製の皮に包まれた餃子は必要充分にラガービールと相性もよく、もう一人前追加、ビールももう一本と言わんとした時であった。



カウンターの隣であれこれ食べ散らかしている、70歳前後の男と還暦前後の女のカップルがいて女の方が躁状態のごとく声と動作がいちいち大げさなうえ、店の人間に不要に馴れっぽくて鬱陶しい限りだったのだけれど。

「熱っ」となにか温度の高い液体が左半身にかかった。愛用のユニクロ製フリースを通じてじわっとなにかが沁みこんでくる。隣の女が突然立ち上がってすいませんすいませんと言いながらおろおろしている。気分よくビールを飲んでいた私は何が起こったかしばらく現実把握ができなかた。

被害状況を鑑みるに、私の左半身は紹興酒の熱燗コップ一杯分が満遍なくぶちまかれた状態になっていた。どうやらカウンター越しに従業員に対して「一杯どうぞ」と差し出したコップを、まだ仕事中ですからと遠慮された所を無理強いした、そのとばっちりが振りかかってきたものとみえる。

すいませんすいませんと、きたない雑巾でひとのジャケットを拭くのもどうかと思うけれど、
「あの、せめてあの、クリーニング代にしてください、こちらの気がすみませんから」
と言って私の手に1000円札を握らせようとする行為に猛烈にハラがたった。

どうみても還暦近い女である。ダウンジャケットをきちんとクリーニングしたら幾らかかるか。そのうえにセーターからジーンズにまでご丁寧にニオイの強い紹興酒をぶっかけているのである。被害総額と、突然の椿事に呆然とする男の心的補償がそんなもんではないことくらい自明の筈である。

紙幣を握らせることで自分の軽薄をどこかへ放置してしまいたかったのだろう。見たくもないその素顔と対面するのに近いほどの自己嫌悪にいろどられた悪夢を見ることから逃げたかったに相違ない。もうおカネ払ったんだもの、過ぎた出来事よ、と。そんな阿呆な救済をするほど私はヒトが良くはない。1000円札を突き返して、黙って席を立ったのである。

沈黙は時として最大の軽蔑となり、最大の抗議となる。相手に未消化の屈託をのこす。

無責任の権化、猫。

コメント

  1. 甘きであります!2010年2月22日 0:46

    小生、翁の世界観、たまらなく好きであります(笑)。

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