スキヤキ大好き

ガキの時分、実家で肉料理(関西人の私にとって肉とは牛肉を指す:承前)といえばまずスキヤキでありました。そうとうのご馳走であって、めったに卓上に登場しないものであった印象が残る。

漫画の「サザエさん」で、「こんやはスキヤキよ」とサザエに呼びかけられたマスオとノリスケが「食うぞ」と言いつつズボンのベルトを抜き去るシーンがあって、同感と憧憬をふたつながらに覚えた記憶が未だに消えない。スキヤキをとりわけ肉をそこまで腹一杯に食べてみたいもんだと子供ごころに思っていたのだな。

べつに家庭が訳ありであったわけでなく、昭和30年代から40年代の中流家庭なんてそんなもんで、未だに交流のある畏友Kなど、スキヤキの前には素うどん一杯をまず平らげてからという家訓になっていたらしい。


松阪市の某有名店にて


スキヤキとカレーにはいずこの家にも固有の流儀があると見える。先日も取引先と富山市内の名店「はやし」にて鍋を囲んだものの、4人ながらに「こしらえ方」がどうも異なる。しかしながらそんなことに固執するのが会食の目的ではないので、「まあ書生風にやりましょうや」と衆議一決。肉野菜のごった煮牛鍋風となってしまったけれど、肉が素晴らしかったのかそれはそれでとても美味しゅうございました。

50がらみの方々をお客にお呼びする際に「スキヤキ」にすると、かなりの確率でお喜びいただける。多くは「オッ、懐かしいねえ久しくお目にかかってないからなあ」とおっしゃるので、じつはホスト側としても隠れた安全メニューなんですねえ。たしかにわしらの年代じゃ、学生コンパといえばスキヤキだったものなあ。



私が買うのはグラム450円の肩ロース


たしかにスキヤキだけは霜降り肉でないとおいしくないし、砂糖や味醂などの甘味料をケチっても醤油くさいだけになる。脂肪と砂糖と塩分で仕上げるわけでまあ、今風ではヘルシーさに欠けるのかもしれない。アミで脂肪を落としながら焼き上げる焼き肉のほうが(特に女性から)支持されるゆえんでありましょう。

おまけに食肉の輸入自由化以来、焼肉店はおっさんのための隠れ家ではなく、多くは1人前2000円台からの食べ放題を基本にしたファミリーレストラン風に変化してしまった。外食産業が主としてロードサイドで展開される都市郊外や地方都市においてそれはより著しい。

だから最近のガキどもときたら、肉とはハラ一杯に食っていいものであると思い込んでいるのだ。




写真の向きがおかしいのはご愛敬。どう工夫しても正立してくれない。これが昨夜私が用意したザクであります。ほかには焼き豆腐と北陸名物の車麩と。糸こんにゃくは肉が固くなるから入れない。白菜など水分が出てくるから論外。野菜は青葱と春菊だけでじゅうぶん。

ところで、肉以外の材料をどうしてザクと言うんでしょう。ジオン公国と関係があるのでしょうか。






缶ビールといいちこ水割りを相手にして、割り下で牛肉を煎り付け生卵にくぐらせてぱくりとやったあとにザクを放り込んで、日本酒を注いで煮あげる。独身自炊がながいので、故郷の流儀とも違う独創系にメタルモフォーゼしてしまった。

残念なことに220グラム用意した肉が半分以上あまってしまった。箸先がネギと焼き豆腐にばかり向いてしまうんだから、仕方がない。ああ五十路の哀しさよ。ベルトを抜き去るほどに肉を食べるくらいのゆとりはあるんだが。

半世紀を生きてきて、嗜好が絶対矛盾的自己同一に陥っていることを体感したのでした。

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