エクレアがフランスを救ったみたいにならんかなあ。

福島の原発がなかなか事態好転といかない日々が続いています。津波震災の復興もまだまだ遠いようで、なんでこんなに上手くいけへんのかなあと思いますね。何でも政治のせいにすればいいってもんじゃないけど、ほんまに人材がおらん感じで。
天啓ってわけじゃないけど、突然にタレーランを思い出してしまいました。そうだタレーラン、悪者といわれながらもフランスを救ったタレーラン。こんな人物が今いたらなあ。




タレーランのアフォリズム。


「私は不徳義漢で権謀術数の徒であると見られているが、実は物に動ずることなく人間を見 下していただけなのだ」
「誹謗中傷より酷いことがひとつある。それは真実だ」
「感受性が強すぎると不幸をもたらし、感受性が無さすぎると犯罪を招く」
「暗殺とはロシアで最もよく用いられる免職方法である」


タレーラン・ペリゴール


近代国際会議・外交の原型となったのが、1814年にナポレオン以降のヨーロッパ体制を定めた「ウィーン会議」なんだとか。各国の思惑が入り乱れて、舞台裏では合従と連衝が繰り返されながらも表立っては議事が進まなくって。連夜の舞踏会と宴会に「会議は踊るされど進まず」と言われましたっけ。映画にもなりましたね。


タレーランはフランス大使として会議に参加。敗戦国の代表ながら、各国の力関係を逆手に取ってウラ外交をすすめました。本人も美食家で知られていますが、天才料理人と呼ばれたアントナン・カレームを伴って、会食の席で相手を籠絡したんだとか。


アントナン・カレーム


カレームは「私は王の料理人であり、料理人の王でもある」なんてうそぶいてました。フランス料理の4大ソースを確立したとか(私はソースベシャメルとソースエスパニョールしか知らん)、エクレアとミルフィーユを作り出したとか。毎回材料とテーマを変えて365日違う料理を作ったとか。今に至るフランスの「食卓外交」の基礎を作ったんだと。


ウィーン体制のヨーロッパ


各国代表が、まあご馳走だけにやられた訳じゃないけど、おかげで敗戦国でありながらフランスはナポレオン革命前の領土を保全しただけじゃなくって、セネガルを植民地に加えることにまで成功してしまいました。たいした外交手腕にして政治術やね。21世紀のどっかの国じゃ内政外交ともに無茶苦茶になっとりますけど。


誰がメッテルニヒでタレーランやら

ウィーン会議の議長でオーストリア宰相のメッテルニヒは
「国際問題を考える際にはいろいろな思惑が錯綜するが、一番大切な問題を明確化しリアリストとして行動することが大切である」をモットーにしてたそうな。どっかの首相に聞かせてあげたいお言葉でございます。
外交においてタレーランの師匠筋にあたるショワズール公爵が説いた政治と外交のコツ。ちょっと長いですけど、読み飛ばさない方がいいですよ。


「ところで、人の上に立つ者はあまりこせこせしちゃいかん。私も役所では自分自身の仕事はほどほどにして、いつももっぱら部下に仕事をやらせた。書類の下にうずくまっているのは愚の骨頂だ。そういう書類の山をてきぱきと処理する部下を見つけることが肝心だよ。そうすれば、しぐさひとつ、あるいは合図ひとつで事を運ぶことができる。私は、だらだら長い報告書を書いたことは一度もない。大使たちに出す命令も、要点だけにした。身持ちを正しくして名誉を重んじ、誠実に振る舞えば、どんなに大胆不敵にやっても大抵はうまくゆく。私も諸外国に対しては頭ごなしに鋭く切り込んだからこそ、外交の成果を上げることができた。関連部署の下僚たちが私の強引なやり方を上手に繕ってくれたよ。仕事のできる連中を働かせる、それが上司たる者の心得ておくべきことだ。そうすれば1日は24時間以上になるとも。
それから、大臣たる者、外へ出掛ける時には必ず危険が伴うことも覚悟しなければならん。単なる祭典の場合でもそうだよ。さりとて、それを恐れていては仕事にならん。大臣室に閉じこもっていたんじゃ、何ひとつ分らんからね。」

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