赤富士

都心のホテルで高層階に泊まっていると、見下ろす夜景がみごとである。ビーズ細工を解き放って床上に放り出したごとき、もったいないような光景なんである。だ仕事の出張でカメラ用の三脚など持ち歩くわけにいかないので、スローシャッターでの夜景撮影は困難を伴う。まして新橋銀座六本木と駆け回ったあとでは5秒間も微動だにせずカメラを固定するなどとんでもない。

というわけで、のんびりと風呂に浸かって熟睡したのでした。たぶん零時半ころ。

   


早起きは三文の得とはよく言ったもので、午前6時頃さわやかに目覚めてカーテンをあけるとごらんのような景色であった。じっさいには朝日を受けた富士山はもっと色づいていて「赤富士」とはこれを指すのかと思ったほど。

宿泊した「セレスティンホテル」は、カードキーがないとエレベーターにも乗れないセキュリティの高さと、和洋のしっかりとした朝食ビュッフェがなかなかによかった。

仕事を終えて、取引先と(とある百貨店の方々)日比谷のバーで一杯やってから帰富した。


   

「Maxとき」@東京駅である。左端に見えるのは秋田新幹線「こまち」の後端部。大阪勤務時代は多いときは毎週のように東京へ出張していた。東海道新幹線のホームに立ちながら、「向こう側」の緑とアイボリーに塗り分けられた車両を見て、みちのくへ・越後上越越中路への旅情にさそわれたものだった。

ホーム下のコンコースで、通りなれた青と白に塗られた東海道山陽新幹線窓口でなく、東北上越長野新幹線側に進んでいくとき、自分が「向こう側」の人間になったことを肌で認識した。ビジネスではなく旅情で憧れていた路線に、スーツ姿で搭乗し鄙へ向かって帰っていく。

            

国境(くにざかい)の長いトンネルをぬけるとそこは雪国であった。夜の底が白くなった。




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