なんでカレーが郷愁か。

ああカレー。この世にこれくらい好きなものはあまりない。生まれたときに銀のカレースプーンをくわえて産道をくぐり抜けて来るといわれる大阪人の私として、故郷を離れて数ヶ月、カレーへの望郷の念がたかまるばかりなのである。

なにしろ1929年にターミナルデパートとしてオープンした阪急百貨店は、当時25銭でカレーを供して(20銭という説もある)客を呼んだらしいし、それで蝗集した大阪人もDNA的にカレー好きであったのでしょう。多い日は牛10頭分の肉を消費したそうであります。



昭和11年の阪急百貨店

国民食といわれるほどであるからして、越中にもカレーが無いわけではない。でも、この地でで食したことがあるものといえば、〇〇会館の生ぬるいポークカレーだったり、会社の隣にある某ホテルのコーヒーコーナーで供される業務用カレーの温めなおしだったり。安定はあるものの、そこにポリシーもアイデンティティも感じられない。残念である。

もちろん、全世界あまねくユビキダス的に存在するインド人が経営する「カリー」を食べさせる店は当然この越中にも存在する。駅近くの「サントシ」あたり、かつて暮らした神戸でも珍しいほどの本格的なインド風味で、よくまあこんな店がこんな所へと思うほどである。中山手の名店「デリー」にも負けない品質だと個人的には思っている。

しかしだな。私が食べたいのは、インド風でもなく欧州風でもなく、日本人がそれなりに解釈してつくりだしたきっちりとスパイシーでありながらどこかに「洋食」のハイカラさを残すカレーなのである。



ちなみに隣県金沢においてカレーは完全に労働食である。「ゴーゴーカレー」「チャンピオンカレー」の2大チェーンはいまや首都圏にまで店をひろげている。とにかくハラの減っている人間に、満足を勝ち得るほどの品質と、品質を超える絶対価値としてのボリュームを保証する。「量」こそはあまねく不変的な価値であって、エリア外に脱出する際に営業的担保力を遺憾なく発揮する。




この巨大カツの下に大振りの茶碗一膳分ほどのご飯が隠れていて、「ヘルシー」と呼称される。開店から17時55分までは600円。そのうえには「エコノミー」「ビジネス」があり最上級の「ファースト」はおそらく米飯2合ほどになる。昨日金沢に訪れた際にはそのあとの仕事をおもんばかって「ヘルシー」にとどめたのだけれど、前回に「エコノミー」を頼んだときには、夕食を断念せざるを得ない状況になってしまった。おそるべきことに2合の飯にロースカツ・チキンカツ・ソーセージ2本・エビフライ・ゆで卵までトッピングされた「メジャー」でもひと皿で1000円にしかすぎない。

伝統産業、と言ってしまえば格好いいが金沢と京都は良く似た軽工業のまちである。身体を使って働く職人さんが支えている部分が多い。さらに明治維新のころから、藩屋敷など大きな土地が空いてしまって、そこへ学校を誘引し人口の割りに学生が多い人口構成にもなっている。
ようするに、みやびな見かけのわりにハラの減っている人間が多いってことなんですね。

だから京都に「王将」「天下一品」が発祥し、金沢に「ゴーゴーカレー」「チャンピオンカレー」「ハントンライス」などのB級ボリューム食が濫觴を得たわけなのでしょう、と今夜は推論することにとどめておきます。夜も更けてきたし、いささか酔払っておりますし。

まあ私に近しい人はもうおわかりでしょうねえ。
この男は「インデアンカレー禁断症候群に陥っている」のだと。
そう、妄想的なまでにドーチカ・三番街・クリスタ長堀・旧大毎地下などに点在する「インデアンカレー」にホームシックを感じているのです。甘くて辛くて胸焼けがするあの魔味。なつかしや。

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