さくらんぼのお酒

ひとりが好きなのひとりっこ
ほんとは嘘なの甘えっ子

浅田美代子のこの唄を聞くと、太宰治をおもいだしてしまう。孤独になりたい嫌人症と津軽人らしい深すぎる人情のはざまで、精神を不純にアウフヘーベンしたあげくに、自己憐憫と唯我独尊の権化となり人生をまったく無駄に昇華させてしまった、オトナの身体に宿した駄々っ子を。

享年40で早世した未熟児は、愛人と入水してしかもその後数日を経て、自らの40歳の誕生日に遺体を発見されるという離れ業をやってのけている。自死の直前に誌した短編「桜桃」から、その命日を「桜桃忌」となす。

入水の翌年、井伏鱒二・佐藤春夫・壇一雄らが、三鷹の旧居あたりでちょうど季節のさくらんぼをつまみながら一献を傾けて故人を偲んだことで、同時代の作家今官一が桜桃忌と名づけたという。
でもまあ、甘いようなすっぱいような、歯ごたえはあるけど実質がない、でも捨てきれないサムシングがある彼の作風にまこと相応しい命日碑ではないか。

ちなみに桜桃忌は亀井勝一郎が幹事役として昭和38年まで運営された。自己陶酔型の作家に囲まれながら15年にわたって幹事を黙々と続けてきたあたり、自らの足元を見る他人の視線に対して敏感な人間でないと難しい立ち位置であったかもしれない。そのあとを太宰治賞なる文学賞にたてまつって商業主義に振舞おうとしたくせに、経営自体が破綻した出版社の話はよそう。

東京銀座のバー「ルパン」へ行くと、カウンターの左隅に、モノクロの写真が飾られているはずである。面長で白皙で目線がいささかうつろな青年が、スツールに片膝たててカウンターに凭れようとしているような、胡坐をかこうとしているような。三つ揃えの背広を思い切り着崩しているけれど、下品には見えない。足元は短靴ではなくて、今で言うトレッキングシューズのようでもある。きっと払い下げの軍靴に相違ない。



このとき、写真家の林忠彦は同席していた織田作之助を撮影するつもりが、泥酔した太宰が「オレも撮れよ、林」と言って聞かないのでやむなく撮影したらしい。しかしこの豪磊不羈なる写真が林忠彦の代表作となってしまった。無邪気に勝てる邪気はないのである。

キルシュワッサーなる酒がある。さくらんぼを発酵させて醸造し、さらに蒸留する。ハードリカーなのでドライであるだけでなく、原材料のせつなさを伴う素性をほのかに漂わせる佳酒である。加熱してアルコール分を飛ばしてやると、隠されていた芳香を静かに放っていくので、クリームやらバターやらのしつこさをマスキングするのに絶好なことから、製菓用に珍重されるけれど、そのまま飲用するに何の問題もない。

フリーザーでボトルごと冷やしたキルシュワッサーを、小ぶりのリキュールグラスに注いで唇をすぼめて啜るとき、私はあらゆるものに対して寛容となる。未熟の集積が、それでも発酵し蒸留されたあかつきの姿を嚥下して、自らの足らざるものと他事の思うに任せぬことを許容するのである。

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