悲しい歌やねん

滝廉太郎といえば「荒城の月」。舞台は大分県竹田市とか言われているけど、この悲しい曲調がインスパイアされたのは、富山市であったみたい。官僚の子弟だった廉太郎は、親の転勤の都合で、幼時に富山で生活している。富山県尋常師範学校小学校で、1年から3年まで。学校は当時荒れ城のまま放置されていた富山城の敷地にあったので、その記憶があのメロディのもとなんだって。


今朝8時。雪で視界不明


「雪」  作曲 滝廉太郎  作詞 東くめ
雪や こんこ  あられや こんこ
降っては降っては ずんずん 積もる
山も野原も 綿帽子かぶり
枯れ木 残らず 花が咲く

雪や こんこ  あられや こんこ
降っても降っても まだ 降りやまず
犬はよろこび 庭かけまわり
猫は こたつで 丸くなる


ご年配の向きにはおなじみの唱歌ながら、はて最近の学童どもは知っておるのかねえ。1901年に幼稚園唱歌になり、1911年に尋常小学校唱歌に制定されたんやから、冬のオフィシャルソングになって、ちょうど1世紀がたったわけや。


富山駅前の惨状


歌詞ちゅうの「ゆきやこんこ」の「こんこ」は、「来む来む(こむこむ)」の「来む」が現代語で言うところの「来い」であって、「雪よ降れ降れ」の気持ちをあらわしたのだろう、とされている。あるいは「来む此(此処へ来い=此処へ降れ)」とも解釈されておる。




しかしねえ。毎日こうも積雪が続くと、その辺の解釈はホンマかいなと思えてしまう。借問す。富山市内の小学校を視察して回ってごらんなさいな。雪だるまつくってる学校なんて有り得へんし、雪合戦の痕跡も認められない。

あったりまえで、ここ越中の国では、雪は迷惑なものであり、厄介千万な冬の怪物なんだもん。屋根からの雪下ろしで転落死する人のニュースは、まあ毎朝のごとく地元紙の紙面に載っている。富山市では道路の除雪費が底を尽いてしまって、来年度の公共事業を圧迫しそうだし。

家のガレージから車を出すために、子供たちも早朝から雪かきの手伝いに動員されてるし。




だから私には「雪やこんこ」は、雪を期待する歌には聞こえんがです。「来ん」はすなわち、「来ない」ほうの意味ではないかと。「こんこ=来んこと」であって、ああ雪よ降ってくれるな、と聞こえてくるのですね。

で、私なりの現代語訳。

山や野原が綿帽子かぶって、枯れ木に雪の花が咲く、あの季節が来ると、わざわいがいっぱいやってくる。(いまと違って貯蔵食料を食いつなぐだけの、厳しい冬が)なのに、降りやまぬほど降りだして、いよいよ冬将軍の到来となっても、アホな犬は庭を駆け回って喜んでいる。ああ私は薬の行商になど出かけずに、家族と一緒に猫のようにコタツで丸くなっていたい。この越中に雪さえ降らなければ。 

だからこの唱歌「雪」は、越中の辛く哀しい冬の歌なんですよ。きっと。うれしげに歌っていたのは、雪がめずらしい表日本の学童(幼少期の私も含めて)でありまして。


家庭用配置薬のかずかず


越中富山の薬売りで、冬の間はお父は行商に出て、お母が家を守る。おかげで富山の女性はトテモお強くなられて、米騒動やら女一揆を起こしはるねんけど、それはまた明日のココロだぁ。

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