雨想夢想

先々週からずっと雨である。予報をみるかぎり来週もずっと雨で、あろうことか私の誕生日である11日にすら傘マークが記されている。松川に流れ込む雨水と雪どけ水は昼夜をたがわず轟音を発しており、堤を乗り越えることがあればたちまちにして市中は冠水の惨状を招くことが危惧される。

というより、3週間になろうかという雨の連続とは何なのだ。旧約聖書に記載されている故事によるならば、増えすぎた・騒ぎすぎた人類に鉄槌を下すべく神ヤハウェがしろしめした罪禍である大洪水では40日間にわたって降雨が続いている。越中がそのレベルに達するにはあとわずか2週間の余地しかない。当時の西アジアでは信仰深き民であったノアが事前に箱舟を建造して、漂流後その災禍を標高5000mのアララト山に避け、人と動物そして種子を守ったと記される。

善良なる富山県民としては神通川に流れる流木でも集めて箱舟を建造し、すべての生きものをつがいで収容して来るべきカタストロフに備えるべきなのかもしれない。運が良ければギルガメシュ叙事詩にも描かれているような大洪水をしのいで、標高5137mのアララト山のかわりに2999mの剣岳に避難する事ができるだろう。



NASAの映像をwikiで借用した。トルコ共和国の東端に位置するこの山地には、アルメニア人クルド族トルコ人が混在して19世紀から血生臭い暗闘を絶えずくりかえしている。トルコ人が行なったアルメニア人虐殺の規模はおよそ数百万人とする説もあり(トルコ政府は否定している)、平穏無事な立山連峰とはえらい違いである。政情不安の権化みたいなこの地には21世紀のいまでも立ち入ることが困難で、小規模の探検隊と衛星写真が紀元前3000年~4000年に建造された木造船の痕跡をみとめていた。

まあキリスト教徒のロマンが倒木を船の形骸と誤認しているんとちゃうの、と半端クリスチャンの私なんかは思ってしまうけれど、あながち信仰がもたらす思い込みだけでもないらしい。グリーンピースの一党は、この峻厳苛酷な山麓に箱舟の再現を期して鋭意工作中であるとの情報もある。十字軍以降ベトナムからイラクに至るまで、キリスト教徒の暗い情熱は他教徒にとってしばしば迷惑で多くは災いでしかなかったと鑑みる。このたびの試みが民俗と宗教のモザイクというかゴブラン織りみたいな彼の地で紛争のネタにならないことを神の子の信者の末端として祈らずにいられない。




旧約聖書の記述を信じるならばこの箱舟は、長さ300キュピト・幅50キュピト・高さ30キュピトで伝承をもとにメートル法で換算すると全長133,5m全幅22,2m全高13,5mになる。推定の排水量は40000tで、かのタイタニック号が46328tだからまあ似たような船容といえなくもない。

アメリカのイタズラ好きなな高校生が教会のの説教用聖書の数ページを糊付けして、ノアの妻に関する記述のページから箱舟の寸法を記すページまでワープさせたことで、その教会においてはノアの妻はドイツ戦艦シャルンホストに匹敵するほどの大いなる女性として説諭されることになった。後年かの名門コーネル大学にすすむA・スミスがその才能の濫觴をしめした一件である。



ところでアララト山に漂着したノアは、積み込んだ動物たちを放つべき陸地をさがすために、カラスとハトを放っている。カラスは出て行ったきりで戻ってこなかったが、ハトはオリーブの枝を咥えて戻ってきた。ようよう引きはじめた洪水の水の彼方に陸地を発見し、ノアとその一族は再興の地にたどりつくことができたのである。



残念なことは富山市においてハトの勢力が国民新党なみであって、圧倒的多数の与党がカラスによって占められていることである。この雨がさらに永続的に降り続いてかつての災厄に匹敵しても、富山市民には次なる陸地を見つけてくれるハトは数少ない。いるのは市中を聾せんとするばかりのカラスの大群でしかない。馴致するにはあまりに独立不羈なあの鳥類が、空を覆わんとするほど生息しているのである。


*めずらしく脚注をしよう。 A・スミス著 後藤優 訳 「いたずらの天才」  文春文庫 は私の少年期における精神形成に多大なる影響をあたえた本である。これを読んでコーネル大学はイタズラ者の巣窟でたいした学校であるまいと看過していたのだけれど近年ビジネス工学における巨魁であることを知った。「コーネル大学式ノート」はそのたくらみの深さにおいて傑出しており、いまや仕事に欠かせないパートナーとなっている。不思議なご縁というしかない。

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