五十路の邂逅

きのう、満50歳をむかえた。まあ順調に齢を重ねて行けばいつか到達するマイルストーンではあるけれど。越し方行く末など思い連ねるべきなのかもしれないが、物事を深く考えることを苦手とするのでまあなんとかなるやろと、突然決まった大阪出張の車中で持ち込んだ本を開いていた。




高橋三千綱は、還暦を期にしてこの本を上梓した。20代で「組織」から離れて以来、自由にして愉快にして孤高なる行き方をしてきたもようである。ともすれば易きに流れる自分と対峙しながら、一人旅をかさねて旅の孤独のなかに見つめるべき視点を探し続ける半生だったとみた。

もとより羞恥のひとであって、だめな自分を(相当に誇張しながら)披露しつつ、この本にたどり着いた人間を鼓舞しようとしている。こんなタイトルの本を手に取るのは、素浪人になろうとしている人たち、たとえば定年をまぢかに控えた勤め人と想定している気配である。会社と言う組織とそこで付与される肩書きに安住していた人間は、それらと別れたのちにすがるものを失ってしまいがちだから。

人間は天職をさがし、天職に忠実誠実であれば自分の演じたい人生を生きることができるのだと、読む者を激励してくれた。

五十歳の誕生日に、新聞の書評でみつけたこの本を手に取ったのもなんかの縁であろう。片道3時間半のサンダーバード車中では急いで読んでしまったけれど、ゆっくり読み返してみたいページがいくつもあった。タイミングよくこんな著作に出会うから本読みはやめられない。

まあおかげで今月も北新地なら2軒はしごできるほどの金銭を、アマゾン一党と楽天ブックス一味に献上してしまうことにはなってしまったのだけど。

コメント

  1. 甘きであります!2010年3月13日 2:34

    小生、この本非常に興味があります。
    新聞記事ではなく、翁のブログから発見するとは
    本当にラッキーでございます。

    読み終わりましたら、是非、大阪行きの箱便へ。

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