ユートピア探訪

SNSによる情報一元化の時代は、そこに浴する人間に平準の幻想を抱かせる。貴顕貧困賢者愚者の区別なく同じ文字面をたんに同時間で共有することで、共同体に属しているかのように誤解しその挙句に情報の塔頂にいる者に操作されていることを疑わなくなる。むしろその同時間性をもって「頂にいる者」とのつながりを他に誇ったりまでするのである。これを愚者の楽園という。

ユートピアとは何ぞや。

あまりに訪れの遅い春に業を煮やして、皮膚感の上での春がやってくるまで楽園を想うために幾冊かの本を読んでみようと思う。3連休とかもあるしね。

まずは以下に引用した、ツヴェタン・トドロフの「絶対の冒険者たち」

人生においては、私たちは自由に自分の道を選んでいる気がしないことがよくある。最初に、私たちを取り巻く大人の決定に服する。つぎに私たちの仲間から圧力をこうむる。さらに社会が提供する行動モデルに順応する。労働世界の要求に屈する。しかしいつも意識しているわけではないが、またすべてを言葉でもって自覚しているわけではないが、私たちひとりひとりは、ある種の人生計画によって駆り立てられている。自分の内部に自己をみちびく理想的な全体構想を有しており、その物差しでもって現在の自分の実存を判断する。充溢、内的完結、より高い生き甲斐への熱望は、その一部をなしていることを私は知っている。

実存の美しさを発見するためには、だれも芸術を実践する必要もなければ、精魂込めて傑作を成就させる必要もない。だれもがみな想像力の働きによって現実を晴れやかにすることができ、自分の日常生活に調和に充ちた形態を与えようと試みている(少なくとも、それができなかったと後悔する)。芸術作品はたんに、これらの努力がそのもっとも輝かしい結果を生み出した場、したがって、これらの努力がもっとも観察しやすい場であるにすぎない。


ひさしぶりにELPの「展覧会の絵」を大音量で聴いて、霊感が走ったのである。
美しさが持つ完全性は生の充溢に不可欠ではないけれど、それがあるだけで何かをつかみとるきっかけにはなるということを。エピタフもいいけど、やっぱりキエフの大門。

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